読書

今なお船戸与一④

船戸与一が豊浦志朗の名前で書いている「ハードボイルド試論、序の序―帝国主義下の小説形式について」が収められている『ミステリーの仕掛け』(大岡昇平編)を、これまたネットで購入しました。『レイモンド・チャンドラー読本』と同様に、市営図書館に蔵書…

今なお船戸与一③

船戸与一の反チャンドラー論が収められている『レイモンド・チャンドラー読本』をネットで購入しました。市営図書館に蔵書があって、読んだことはありましたが、やはり手元に置いておきたいというコレクターの血が騒ぎました。まず何よりも、チャンドラーの…

官僚の仕事

この本の中で、プーチンはアメリカの官僚の凄さについて言及しています。旧ソ連は、そこに暮らす全員が国家公務員であり、国の形と官僚機構は同一のもの、即ち官僚の国でした。プーチンの目が大統領だけでなく、実務をこなす官僚にも向けられるのは当然です…

牙城崩れず

政治や社会問題に高い意識を持っている映画監督というだけでは、一国の大統領とやり合うには荷が重すぎるのかもしれません。“あの”オリバー・ストーンが、ロシア連邦大統領のプーチンに挑む。そのドキュメンタリーの根幹を成す、複数回にわたる、都合二十時…

今なお船戸与一②

船戸与一が亡くなる直前のインタビュー記事が掲載されている、雑誌「ジャーロ No.53」を手に取りました。まずページを開いて目に飛び込んでくるのは船戸与一の大きな顔写真。そこから目を離せません。透徹した視線を感じさせる、澄んだ眼。インタビューに答…

今なお船戸与一①

原籙のエッセイ集『ミステリオーソ』と『ハードボイルド』が、もともと『ミステリオーソ』として一冊だったものを二冊に分冊して文庫で発売されたとき、収録されている船戸与一との対談を立ち読みで済ませてしまったのは痛恨事でした。その当時、原籙の作品…

『9.11後の現代史』

昨今、異なる他者への憎悪を吐き出す言葉が話題になりますが、それは「そう言っているのは一部の人たちで、大多数は穏やかで理解のある考え方をしている」という注釈とともに語られます。際立って目立つ少数派だからこそ耳目を集めるのなら、イスラム教もま…

『流星ワゴン』

父親と息子の確執など、ありふれたことです。逆に、だからこそ古より物語の題材になったきたのです。ある日、息子は父親が偉大でも立派でもなく、自分と同じ“ただの人”だと知るときが来るといいます。時代も環境も、与えられる情報も違うのですから、そうい…

『コルトM1847羽衣』

月村了衛の『コルトM1847羽衣』。美しい女性が最新式の拳銃、コルトM1847ウォーカーを手に活躍する伝奇時代小説です。その活劇を読んで感じたのは、これまでの作品以上に著者の反骨心が滲んでいることです。それを伝奇小説のなかに溶かし込んで、活劇を描い…

『鎮魂歌』

前作『不夜城』の最後、主人公の劉健一は、大略「自分が殺した女の夢をみるが、顔を思い出せない」と語ります。あるいは映画版では、モノローグで「ところで、夏美って誰だ?」と。彼の怒りや復讐心は、その強さのために「誰のため」という理由すら消し去り…

『不夜城』

馳星周の『不夜城』が刊行されたのは1996年。バブルがはじけ、当初は数年のうちに持ち直して、空前の好景気再びということはなくても、ほどほどの適正値に落ち着くだろうと(期待を込めて)思っていたけれど、どうやらそうはいかないらしいと誰もが気づき始…

身も蓋もない

いまさらながら、馳星周の『不夜城』を読みました。北京に上海、台湾といった中国マフィアが抗争を繰り返し、奇妙なバランスを保っている新宿歌舞伎町で、その勢力の間を泳いでいる劉健一。予期せぬトラブルが起きて、身の危険が迫ります。劉健一は生き延び…

『テロリストのパラソル』

藤原伊織の『テロリストのパラソル』は、刊行当初、高い評価を受けるとともに、一部から「全共闘世代のマスターベーション小説」とも評されました。小説は世界を切り取ります。そこに何を見るか、あるいは読むか。それは読者に委ねられます。語るに落ちると…

『水底の女』

村上春樹の小説を評して、「何を言いたいのかわからない。雰囲気を味わうだけのもの」といった類の批判があります。実は、チャンドラーも同種の批評をされています。プロットが弱く破綻している部分がある一方で、流麗な文章と独特な言い回しや、フィリップ…

『狼眼殺手』③

月村了衛は、“機龍警察”シリーズの特筆すべき点は、龍機兵(ドラグーン)という操縦者が乗り込む機械兵器の存在ではなく、警視庁が外部の人間を契約して雇っているところにあると言います。何故、操縦者を警察官から選ばず、外部から連れてきたのか。それは…

『狼眼殺手』②

「わたしは、十二歳のときに持った友人以上の友人を、その後持ったことがない。誰でもそうなのではないか」(映画『スタンド・バイ・ミー』)勝新太郎は、物語には排泄感が必要と言いました。溜まっていたものを吐き出してすっきりする感覚ということです。…

『狼眼殺手』①

高村薫が『黄金を抱いて翔べ』でデビューしたとき、「どうして、こうのような作家が現れたのか」という驚きとともに迎えられたそうです。月村了衛の『機龍警察』(ハヤカワ文庫)を読んだとき、まったく同じ感慨を抱きました。この作家を語るとき、「冒険小…

『冷酷な丘』

わたしが大好きな作家、いまは亡き打海文三は、熱狂的な読者がいる一方で、ベストセラー作家と呼べるほどの売り上げがありませんでした。その状況を指して、自身の息子から「売れないエンターテインメントに意味はあるのか」と言われ、もっともだと頷いたと…

上手いって何ですか

かつて、夢枕獏は自著『餓狼伝』において、登場人物にプロレスラーの肉体の凄さについて語らせました。と同時に、あるエッセイにおいて、藤原喜明の、関節技は筋肉ムキムキのレスラーには簡単に決まるという言葉を紹介しています。ここで語られるのは矛盾し…

『罪責の神々』

依頼人は嘘をつく。それを織り込んで裁判を戦う弁護士、ミッキー・ハラー。彼は今回、それとは逆に無実を訴える依頼人を信じて裁判に臨みます。それは、依頼人が信頼出来る人物だからではありません。被害者が既知の女性だったからです。過去に交流のあった…

『母性のディストピア』

ずっと、小説家だけを「作家」と呼ぶことに疑問を持っていました。映画監督だって、音楽家だって、漫画家だって同じだろうと。あるいは「映像作家」といった言い方にも違和感を持っていました。作家ではなく〇〇作家と呼ぶのは、小説を一段高く見積もる態度…

『鹿の王』感想②

上橋菜穂子の『鹿の王』では、人間のみならず、生きとし生けるものの体の複雑さ不思議さを説きます。病もまた、その構成要素の一つです。その病を根絶することは事実上不可能で、わたしたちは共生するしかありません。奇しくも、最近始まったNHKスペシャルの…

『鹿の王』感想①

「飢えは戦争の合法的な武器であり、われわれはそれを叛徒に対して用いることを躊躇しない。」フレデリック・フォーサイスが『ビアフラ物語』で記している、ナイジェリアの政府高官の言葉です。上橋菜穂子の『鹿の王』では、ある王国を舞台に、被征服民族の…

東京小旅行③

第二部は「新宿御苑で大沢在昌の『毒猿 新宿鮫Ⅱ』を読むこと」です。『毒猿』の最後、物語のクライマックスの舞台が新宿御苑、その中の「台湾閣」です。案内のチラシには「旧御涼亭」とあり、現在は呼び名が違うのかもしれませんが、わたしの中では台湾閣で…

跳ぶ物語

森絵都が描く、スポーツ青春物語。面白くないわけがありません。シリアスとユーモアのバランスも素晴らしい、愛おしくなる作品です。いま、読み終えて本棚に収まっていますが、その背表紙を眺めていると、閉じたページの中で若者たちが元気に飛び込みをして…

挑戦の第13巻

羽海野チカの『3月のライオン』の最新巻、第13巻を読みました。この物語の主要登場人物は若者だけではありません。若者であれ大人であれ、その誰もが己の未熟さを自覚し、必死に生きています。研鑽、切磋琢磨。この言葉が自分の日常にあるのかと己に問うとき…

『門』

『三四郎』でまだ何者でもない若者を、『それから』でモラトリアムの終わりを、『門』で物語のクライマックスの後に続く“日常”を描いた三部作。作者は、一組の夫婦の過去について説明することなく、現在進行している日々の暮らしと心の揺れ動きを語っていき…

『それから』

江戸時代、国とは藩のことでした。それは「国へ帰る」という表現で現在に残っています。その封建制度の世にはなかったけれど、近代国家の明治の世に現れたもの。それは“社会”です。国家の内実としての社会を構成するのは“市民”です。言い換えれば、明治にな…

『三四郎』

青春小説の系譜を遡ったとき、たどり着くのが夏目漱石の『三四郎』なのかもしれません。すべてはここから始まった。そんなコピーが思い浮かびます。文学史や近代小説という視点からの評論は専門家にまかせて、ここはひとつの小説として向き合いたいところで…

悔い

誰もが、もう一度まったく同じ人生を送りたいかと訊かれたら、否と答えると聞いたことがあります。悔いばかりの人生です。何かに失敗したこと、もう少し上手くやれればということ。そして、しなかったこと。しかし、取り返しはつかなくても、やり直すことが…