『訣別』

マイクル・コナリーの『訣別』を読みました。

物言わぬ死者のために正義を追求するハリー・ボッシュ。その過程で自らが属する警察組織と衝突し、前作では異母弟の弁護士ミッキー・ハラーの調査員になりましたが、今作では無給の予備警察官となっています。一方で、かつて取得した私立探偵の免許も再取得し、個人的に捜査の依頼を受けて活動もしています。この二足の草鞋を履いている状態は、その制度がない日本では馴染みがない、というよりも想像の外です。この『訣別』では、刑事の捜査と、探偵の仕事。この二つが同時進行で描かれます。

この二つの事件のどちらが本書の主なるものかと考えた場合、シリーズとして見たら前者、ひとつの小説として見たら後者です。

ボッシュは、刑事としての捜査を経て、やはり自分は刑事なのだと再認識します。では、探偵としての捜査では? その依頼は、死期を覚った大富豪からの、存在するのかも判然としない(いるかもしれないし、いないかもしれない)跡継ぎを探してほしいというもので、それは血を巡る物語です。

ボッシュの娘マディは大学生になり、父親の元を離れて暮らしていて、クルマで行き来できる距離ということもあり、頻繁に連絡を取り合い、一緒に食事をするなどしています。この『訣別』ではマディは事件には関わりませんが、ボッシュはヴェトナム料理の話をきっかけに、いままで黙っていたヴェトナム戦争に従軍したときの“トンネルねずみ”としての恐怖に満ちた活動を娘に話すことになります。

それが正しい態度だったのか悩むボッシュに対し、マディは父親の言動に理解を示します。これが、その場での流れの一部としてではなく、数日後にあらためて電話で話したときだったというところが素晴らしい。たんに父親を慰めるためのものではなく、マディが彼女なりに時間をかけて考えての結論だからです。作中では言葉にされていませんが、話してくれてありがとうという気持ちが行間から伝わってきます。

ボッシュが思わず感情的になって話してしまったのは、相手が血の繋がった娘だからです。血。人を縛るもの。探偵としての捜査は、この血に始まり、この血がないがための悲劇を迎えます。この符号は意図してのものだと、わたしは思います。

探偵としての面ばかり書いてしまいましたが、刑事としての事件捜査も読み応え抜群です。どちらかを添え物にしたら興ざめですが、さすがは小説の匠マイクル・コナリー。ひたすらに犯人を追う、そのボッシュの姿もまた豊浦志朗の定義する硬派そのもの。ですので、この『訣別』もまた、わたしにとってはハードボイルドです。