『それから』

江戸時代、国とは藩のことでした。それは「国へ帰る」という表現で現在に残っています。その封建制度の世にはなかったけれど、近代国家の明治の世に現れたもの。それは“社会”です。国家の内実としての社会を構成するのは“市民”です。言い換えれば、明治になって社会と市民という存在、概念は登場したのです。

もちろん言葉も同様で、その悪戦苦闘はよく知られたことです。

市民として、社会で生きる。それを上手くやれなかった者の悲劇。わたしは、夏目漱石の『それから』を読んで、そのような感想を持ちました。

主人公は、事業で財を成した父親の庇護下で日々を過ごす高等遊民の如き男です。しかし、それをいつまでも許すほど社会は優しくはありません。彼に結婚話が持ち上がります。

高等遊民というと、世の中のことなどどこ吹く風というイメージがありますが、この主人公は自分が自分であることを絶えず理詰めで考え、社会を意識して自身を規定します。

その社会が、もう許してくれない。モラトリアムの終わりです。それは、物語の冒頭に彼が若い書生を家に置く場面があることからも明らかです。もう、その時期を過ごすのは次の若い世代なのです。

その彼の前に現れた旧友と、その妻。

誰でも良かったとは言いませんが、彼が友人の妻を求めたのは、いまの自分から脱却するべく救いを求めてのことだったのだと、わたしは思います。

だから、望みどおりの結果を手に入れることが出来るというのに、物語は燃える火の色、赤が踊り狂うイメージで幕を閉じたのでしょう。

しかし、彼は狂うことも出来ないはずです。そうなるには社会を突き抜けられない程度に頭が良いからです。

いろいろと胸に刺さる小説です。

それから (新潮文庫)

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