『R帝国』

中村文則の『R帝国』を読みました。初めて読む作家で、そのキャリアを知らずに手に取りました。

読み始めてすぐに、若い作家の文章との印象を受けました。辺見庸の、芥川賞を受賞した『自動起床装置』について、瑞々しい文体に若い作家の手によるものとの印象を抱き、その後で実際の年齢を知って、そのギャップに驚いたという書評を読んだことがあり、それを思い出しました。読んでいて、作家の熱量が正面から迫ってきます。

この『R帝国』は、奇しくも、その辺見庸が唱えた「鵺のような全体主義」を小説で表現したものです。誰もが、自分が全体主義を支持しているつもりも、加担しているつもりもないまま、つまり明確な意識を持つことなく結果的に追認している。さらに言うなら、その追認しているという意識もないまま受け入れている日常。

人という種に過剰な期待をするのが間違いだと嘯くことは簡単です。組織の歯車になるのは嫌だと言う人こそ、それ以外の生き方を知らず、自己正当化の言い訳と諦めとともに歯車になるものかもしれません。自分の在り方を歯車としか認識できないから。

この作品は、世の中の在り方を問うているようで、違います。国があって、それを構成する国民がいるのではなく、個人の集合体としての社会があり、国という単位があるのです。問われるのは、一個人の生きる姿勢です。

このR帝国は醜悪な国家ですが、その存在を許可しているのは国民一人ひとりです。物語の終盤、その権力中枢にいる人物がR帝国と国民の相互依存について語ります。幸福と正しさの相克。

「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、それも“三人”まで。それ以上に人数が集まれば、まず影響力を持つのは声の大きな者です。あるいは弁の立つ者。

わかりやすい正解はありません。それを“誰か”が用意してくれることもありません。日々、勉強であり修行です。

R帝国 (中公文庫)

R帝国 (中公文庫)