『流星ワゴン』

父親と息子の確執など、ありふれたことです。逆に、だからこそ古より物語の題材になったきたのです。

ある日、息子は父親が偉大でも立派でもなく、自分と同じ“ただの人”だと知るときが来るといいます。

時代も環境も、与えられる情報も違うのですから、そういう生き方しか出来なかった父親を責めても仕方のないこと。

そうして、呪縛から解き放たれ、許すことが出来るのだと。そして、それは父親のためと同時に、否、それ以上に自分のためなのだと。

お説ごもっとも。

世に溢れる父親と息子の物語は、父親が、偉人ではなくても尊敬に値する人物として描かれるからこそ成立します。

それは幸せな物語です。

正直に言います。羨ましい。

重松清の作品を初めて読みました。

手元に、十年以上前に催された読み聞かせのシンポジウムの冊子があり、その基調講演が彼のものです。穏やかで温厚な人柄が、写真からも言葉からも伝わってきます。

その代表作『流星ワゴン』を読んで、表面的な印象だけで判断してはいけない。この作家の根底、あるいは奥底には毒があると思いました。

端的に言えば、昨今流行りの「必ず泣ける」などという読者を愚弄した発想とは無縁。それだけではないからこそ読まれているのだということです。

キツイし、厳しい。作中で“現実”について語られますが、それは読者にとっても同様。この作品を読んで安易に救われたと思う人がいたら、わたしはそれを信じません。

しかし、毒はまた薬でもあります。それは一枚のコインの表と裏。


流星ワゴン (講談社文庫)

流星ワゴン (講談社文庫)