『三四郎』

青春小説の系譜を遡ったとき、たどり着くのが夏目漱石の『三四郎』なのかもしれません。すべてはここから始まった。そんなコピーが思い浮かびます。

文学史や近代小説という視点からの評論は専門家にまかせて、ここはひとつの小説として向き合いたいところです。

主人公の三四郎は田舎から上京してきた大学生。かつての自分と重ねての読書となりました。

三四郎ニュートラルな存在です。彼は物語の主人公として自己主張しません。例えば、将来どのようになりたいのかということを考えません。

まだ何者でもない。それが素晴らしい。

幼いころから将来の夢を見定め、それに向かって努力するのは立派ですが、自分とは何なのか、自分は何者なのかという答えの出ない問いを自らに課すことこそ、若者としての人生に対する誠意です。

また、文章も素晴らしい。巧まずして流麗、贅言を費やすことなく清冽。読んでいて落ち着きます。

有名な「亡びるね」という言葉に代表される、文明、社会、政治、人間に対する批評も鋭く胸に刺さります。

わたしが批評するのもおこがましい、原点にして到達点といえるものです。

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)