『罪責の神々』

依頼人は嘘をつく。それを織り込んで裁判を戦う弁護士、ミッキー・ハラー。彼は今回、それとは逆に無実を訴える依頼人を信じて裁判に臨みます。それは、依頼人が信頼出来る人物だからではありません。被害者が既知の女性だったからです。過去に交流のあった娼婦のため、彼は自分の納得のために弁護を引き受けます。

ハリー・ボッシュが物言わぬ死者の代弁者なら、ミッキー・ハラーは雄弁な生者の代弁者です。ボッシュが行動者なら、ハラーは言葉の人です。

陪審員を納得させる、あるいは納得させられないまでも間違いなく有罪と断じるのは躊躇われると思わせるために発せられる言葉は、吟味されたものであり、強い説得力を持ちます。そして、それはそのまま読者へのものでもあります。

この読み応えに加えての、その語り口の妙や物語展開の面白さ、つまりページターナーぶり。エンターテインメント小説を読んだ満足感でいっぱいです。