『母性のディストピア』

ずっと、小説家だけを「作家」と呼ぶことに疑問を持っていました。映画監督だって、音楽家だって、漫画家だって同じだろうと。

あるいは「映像作家」といった言い方にも違和感を持っていました。作家ではなく〇〇作家と呼ぶのは、小説を一段高く見積もる態度(逆に他を低く見る態度)ではないのかと。

それはアニメでも変わりません。『新世紀エヴァンゲリオン』を初めて観たとき、監督の作家性を感じさせる、庵野秀明の作品という印象を持ちました。

ですので、宇野常寛の『母性のディストピア』で、宮崎駿富野由悠季押井守の三人が“作家”として論じられていたことに頷きました。

ここ数年、戦後論が盛んです。多くの人が、「時代が(世の中が)変わろうとしている」と感じていることの表れでしょう。

それをアニメ作品から語るというのは面白い切り口です。ユニークであればこそ、それはややもすれば結論ありきの牽強付会の内容になりかねませんが、この本は違います。

この本の文章の行間に横溢するのは、「これを書かずにはいられない」という著者の熱い想いと、作家の作品に対峙する批評家としての覚悟です。

そこには、サブカルチャーこそがカルチャーを語り得るという逆転があり、それが本書の読み応えの根底にあります。

たんなるアニメ論ではなく、上記の三人の他に、江藤淳村上春樹柄谷行人吉本隆明についても紙幅を割いていますが、著者は誰に対しても同じ視線の高さで、同じ熱意を持って、同じ態度で対しています。この公平性が信頼感を生みます。

この本を読みたいと思った自分の嗅覚を、自分で褒めます。

後半で、映画『シン・ゴジラ』について触れられていたのも嬉しいボーナストラックでした。

個人的には、押井守の『機動警察パトレイバー2』から『攻殻機動隊』への変化を論じた部分が、最も読んでいてゾクゾクするほど面白く感動しました。

母性のディストピア

母性のディストピア