久闊を叙する

先日、東京を超えて浜松に出かけました。友人と呑むためです。

大人になってから親しく付き合う友人が出来るというのは稀なことです。

それぞれが既に自分なりの価値観に基づいた生活環境を持っていて、それが重なるのは僅かな部分に過ぎません。

それが、仕事で知り合ったとなれば、なおさらです。

年齢も離れていて、お互いに「どうして友だちになったのだろう?」と笑いながら酒を飲むのがパターンになっていました。

その友人は転勤族で、四年前に現在の勤務地の浜松に転勤していきました。

年賀状のやり取りや、たまにはメールや電話での接触もありましたが、お互いに出かけて会うということは距離的にも難しく、そうするうちに四年が経っていました。

今回、意を決して出かけたのは、月の初めに東京旅行をしたのがきっかけでした。ええい、今月は旅行の月だ! と決めつけたのです。

こういうことは勢いです。財布に厳しいから時期をずらしてなどと言っていたら、いつになるかわかりません。

高校の修学旅行以来の東海道新幹線。車窓には富士山。旅のお供は宇野常寛の『母性のディストピア』。移動時間も充実しています。

会ってみれば、四年間のブランクなどあって無きが如し。最初こそ久しぶりと握手をして久闊を叙していましたが、それも三分ほど。それを過ぎれば以前と変わらぬ気分で、お互いの近況報告から始まって、日々のあれこれや仕事のことを話しながらの美味い酒。

数えてみれば少々飲み過ぎたはずが、酔った気配もなく、久しぶりに会う楽しさが酒の酔いを上回っていたのかもしれません。

再会を約して別れましたが、その別れ際、深々と頭を下げられました。来てよかったと、心の底から思いました。

次に会うときには、別の土地の可能性が大です。行くよ。