『狼眼殺手』②

「わたしは、十二歳のときに持った友人以上の友人を、その後持ったことがない。誰でもそうなのではないか」(映画『スタンド・バイ・ミー』)

勝新太郎は、物語には排泄感が必要と言いました。溜まっていたものを吐き出してすっきりする感覚ということです。

それは何も、憎い敵役が倒されることによってのみ得られるものではありません。

魂の浄化。

過去は消せません。でも、否定するばかりでなく、かといって肯定するのでもなく、あるがままに受け止めて糧にできたら。

お互いに相手に対して因縁と鬱屈を抱えながら、ある共通のものによって救われた二人の女性。

彼女たちは、では友人になったのかといえば、そうではないでしょう。

でも、と続けましょう。でも、いわゆる友人とは違う絆の如きものが二人の間に生まれたのは確かです。

それによって、表面上何かが変わることはないでしょう。しかし、お互いに、相手がいたからこそ救われたという事実は変わりません。

それを美しいと評するのは二人に対する侮辱でしょう。それほどまでに、この二人の女性が背負ったものは重く、放棄することの出来ないものです。

そのすべてを包み込んで、穏やかな冬の午後のような優しく柔らかい著者の視線。

この読み応えこそ、物語の持つカタルシスです。

それを、血塗られたエンターテインメント小説で表現するのですから、その力量に脱帽です。