『門』
『三四郎』でまだ何者でもない若者を、『それから』でモラトリアムの終わりを、『門』で物語のクライマックスの後に続く“日常”を描いた三部作。
作者は、一組の夫婦の過去について説明することなく、現在進行している日々の暮らしと心の揺れ動きを語っていきます。読者は、こういう経緯があって、こういう心象風景を描くのだなという感想を持つことが出来ません。
それでも読み進められるのは、作家の人を見る確かな眼差しと、明確にテクニックがあるからです。
こういう手法の小説に、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』があります。そちらを読んだ経験があるので、戸惑うことなく読むことが出来ました。何事、無駄にはならないものです。
閑話休題。過去の罪を償う如く、富も名誉も地位も立身出世も望まず、ただ市井の片隅で互いをいたわり合って静かに暮らすことだけを望む二人。しかし、心の傷は決して癒えることはありません。苦い思い出も消えてなくなることはありません。それらは、心の引き出しの中にそっとしまわれて、普段は目に触れないだけ。あるいは見ないようにしているだけ。
このような想いを抱えずに生きている人はいません。誰もが、忘れたふりの一つもしなければ、日々の暮らしを保つことは出来ません。それでも、思いがけない瞬間、過去が襲い掛かってくることがあります。
主人公は禅寺の門を潜ります。さて、そこで得たものはあったのか、なかったのか。
そして、門と人との関係。無知の知という言葉があります。知らないということは、その人にとっては存在しないことなのだから、初めから知らない方が良かったという理屈は救いになるのでしょうか。でも、知っている者は、知っている自分を抱えて生きていくしかありません。
大藪春彦の「静から動へ。そして、再び静へ」の如く、日常に戻ってきた主人公の、それまでと変わらない、あるいは、ほんの少しだけ変化の芽を宿した日常は続きます。
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1986/11/29
- メディア: 文庫
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