『テロリストのパラソル』

藤原伊織の『テロリストのパラソル』は、刊行当初、高い評価を受けるとともに、一部から「全共闘世代のマスターベーション小説」とも評されました。

小説は世界を切り取ります。そこに何を見るか、あるいは読むか。それは読者に委ねられます。

語るに落ちるとはこのこと。上記のような感想を持った人たちは、自身がそれを求めていたことを知らず知らずのうちに告白しているも同然です。そう反応する素地を内面に抱えているからこそ、そう読むのです。

では、『テロリストのパラソル』に、わたしは何を読んだのかという問いです。

結論からいえば、モラトリアムの終わりです。

この主人公は、物語の冒頭で爆発事件が起きるまで、生物学的には生きていたかもしれませんが、それは呼吸をしているに過ぎず、その命は「ただそこにあるだけ」でした。それを生きているとは言いません。

ツケは、いつか払わなくてはいけません。

ケリは、いつかつけなければいけません。

そして、それは自分だけのためではなく、自分にとって大切な人の名誉のためでもあります。そう、愛する他者がいて、人は初めて生きることができるのです。

端正で切れ味鋭い文章で紡ぐ、決別の物語。

ちなみに、「偶然が多く、ご都合主義だ」という批評もあるそうですが、わたしはそうは受け取りませんでした。作家が、これが勝負作とアイディアから何から、そのとき手にあったものをすべて放り込んだ結果だと思います。