『冷酷な丘』

わたしが大好きな作家、いまは亡き打海文三は、熱狂的な読者がいる一方で、ベストセラー作家と呼べるほどの売り上げがありませんでした。その状況を指して、自身の息子から「売れないエンターテインメントに意味はあるのか」と言われ、もっともだと頷いたとブログに書いていました。

売り上げ。それがなければ書くことさえ許されません。あるいは、書く場所を与えられません。

C.J.ボックスの『沈黙の森』に始まるシリーズの主人公ジョー・ピケットは猟区管理官。薄給の公務員です。しかし、貧しいながらも聡明な妻と利発な娘たちに囲まれ、職務に忠実に仕え誠実に生きています。

わたしは、そんなジョーに好感を抱いてシリーズ作品を読み続けています。

そのジョーの姿勢は軋轢を生みます。特に、自らの利益を追い求め、他人を蔑ろにすることを躊躇わない人たちとの間に。

それが物語になるわけですが、エンターテインメント小説として見たとき、ジョーのキャラクター設定が地味で、けれんが足りなくもあります。

それを補うべく登場したのが、過去に特殊部隊員だった経歴を持ち、いまは鷹匠をしているネイト・ロマノウスキです。

彼が登場したことにより、物語は起伏が、エンターテインメントとしての盛り上がりが増しました。

キャラクターの人気ではジョーを上回るそうで、そういう人物として設定され配されているのですから、それはわかります。しかし、このネイトはトランプでいえばジョーカーのようなものという印象を、わたしは抱いています。

ネイトはある種のスーパーマンであり、彼は、ジョーが(能力的にであれ倫理的にであれ)出来ないことを易々とこなします。それによって物語は大きく動き、それはつまり、ジョーとネイトのリアリティには齟齬があるということです。このような二人の人物が一つの物語に同時に存在することに違和感を覚えます。

ネイトは、『ルパン三世』の石川五ェ門のような存在です。斬鉄剣で何でも真っ二つ。それは痛快ですが、自動車やヘリコプターといったサイズからして無理なものから、機関銃の弾丸まで切りまくっては、彼さえいれば何でもありになってしまいます。

次回は、そのネイトを主人公とした話とのことで、エンターテインメント小説としては正しいのでしょう。

でも、わたしはやはり、人間的な弱さを持ち、それでも立ち上がるジョーの方が好きですね。

今回、そのネイトは復讐される立場に身を置きます。そして、被害を受けた彼は逆に復讐しようとします。

憎しみの連鎖。

そう考えたときに思い浮かべたのが、船戸与一の『国家と犯罪』に収録されているダライ・ラマへのインタビューです。

抵抗の手段として武力闘争も選択肢に加えるべきではと尋ねる船戸の言葉に、ダライ・ラマは大きな声で笑うばかり。

そこには有意義な論も、建設的な合意形成もありません。

法の正しさを信じ、それを自身の正しさと重ねていたジョーが、前作の体験を経て出した、今作での解決策。ネイトをも救ったそれは、船戸ともダライ・ラマとも違う、第三の選択肢かもしれません。

冷酷な丘 (講談社文庫)

冷酷な丘 (講談社文庫)