『悪の五輪』

月村了衛の『悪の五輪』を読みました。この作品は、もともと東京オリンピックを題材にしたアンソロジーに収録された短編『連環』を長編化したものです。先に書かれた短編を基に長編を書く、レイモンド・チャンドラーと同じ手法です。

この作品の主人公は東京オリンピックそのものです。それは、オリンピックという魔物と言い換えても良いかもしれません。

戦後の復興のシンボルとして、国を挙げて取り組むオリンピック。戦時中の全体主義の如く、その大義名分を損なう言動は許されません。しかし、国を挙げての公共事業なら、それは即ち利権の巣窟ということでもあります。

表の美辞麗句と、裏の金、金、金の暗闘。オリンピックだから特別ということではありません。それが、この国の在り様です。

全編を通じて感じるのは、時代の変化と、そこから取り残される者の悲哀です。

東京の至るところで工事が行われ、昔ながらの風景が姿を消していく時代。それはテレビの普及とともに映画産業が傾き始めた時期でもあります。

そして、短編では紙幅の都合もあって端役に過ぎなかった武闘派ヤクザの花形敬。彼の造形が見事です。滅びゆく者の呻きと哀しみが強く印象に残ります。

物語は、戦争末期の学徒兵の壮行会から始まります。土砂降りの、色のないモノクロの世界。言うまでもなく、華やかに東京オリンピックの開会式が行われた国立競技場です。また、登場する実在の政治家やフィクサーたちは戦争の時代の(満州や中国大陸で作り上げた)人脈によって暗躍します。

読んでいて、先の戦争の時代と現在は地続きなのだと思い知らされます。何一つリセットされてなどいないのです。

さて、二度目の東京オリンピックが来年に迫っています。その陰で、どんな魑魅魍魎が跋扈しているのやら。

悪の五輪

悪の五輪