フォーサイスかく語りき

フレデリック・フォーサイスというと長編のイメージがありますが、短編も切れ味鋭いものがあります。その作家の自伝は、細かい章立てでエピソードが並ぶ、各話が読んで面白い短編集のような趣です。

しみじみと人生を回顧するような様子はありません。自伝であっても、読者を意識したエンターテインメントになっています。

宮崎駿の作品が空への憧憬を含んでいるように、フォーサイスの人生の出発点にも空、飛行機への想いがあります。一流大学を出て就職し社会的地位を得るという人生もあり得ましたが、一顧だにしません。

ジャーナリストになったのも、世界中の国々を見て歩きたいから。そうして赴いた先にあったのが、内戦真っ只中のアフリカのビアフラです。民族や、宗教を背景にした主義主張の違い、分離独立を叫ぶ側の国土に鉱物資源があることなどが複雑に絡まり合い、戦いは激化、長期化します。

そうして書かれたのが『ビアフラ物語』。この自伝でも、他のエピソードに比して紙幅を割いています。そこでフォーサイスは、ヨーロッパ、特にイギリスの関与を強く批判します。

その『ビアフラ物語』を読んでの感想を書いたことがありますので、ご笑覧ください。

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さて、この自伝を読むに際しての最大の興味は、これはおそらく大半の読者も同様でしょう、ビアフラ戦争で国を追われたオジュクのために、『ジャッカルの日』で得た印税を使ってアフリカの赤道ギニアでクーデターを企て、それは失敗したものの、その顛末を描いたのが『戦争の犬たち』であるという噂の真偽です。

フォーサイスは、その噂に触れません。あくまでも、ビアフラを含むアフリカの国々を取材して、場合によっては少数の傭兵による電撃作戦によって政権の転覆が可能であるという認識を持ち、そのアイディアをもとに小説を書いたのだと言います。

しかし、その失敗した作戦の会議にフォーサイスの姿があり、それを指摘されて、「それは取材の一環であり、作戦そのものに関わったことはない」と答えたという話を読んだことがあります。

本人が何と言っても、それが真実とは限らない。そう受け取られる時点で、何が事実であったのかという問いは意味を為さなくなります。そして、そこにあるのはロマンの香りです。それも硝煙の匂いの。

この作家の人生は挑戦の連続です。子供のころからヨーロッパ各国にホームステイして語学を学び、飛行機の操縦技術を習得し、長じては前述のアフリカだけでなく東ドイツ(当時)にまで出向き、イスラエルでは建国に携わった人たちに直接取材し、イギリス情報部の依頼を受けて危険なミッションに従事する。老境に至っても、現場を見ないことには書けないと、可能な限り自ら足を運ぶ。内戦状態の、あのソマリアにまで。

そこには、「出来ない言い訳」がありません。それこそが、本書の読み応え、醍醐味です。