『ビアフラ物語』

本当に厳しい本を読んだ後、感想を書こうとしても手が動きません。

フレデリック・フォーサイスの『ビアフラ物語』は、1960年代後半にナイジェリアで起きた独立紛争を綴ったルポルタージュです。そこで、フォーサイスは独立しようとした地域、ビアフラ共和国の人々、その指導者のオジュク中佐(後に将軍)へのシンパシーを隠しません。

フォーサイスは作品の中で、表面上は中立を装いながら、実際にはナイジェリアに武器供与を続け、外交的にもビアフラの独立を阻もうとしたイギリス政府の姿勢を繰り返し批判しています。であるなら、自身の執筆態度を明確にしていることは潔く、筋が通っています。

「飢えは戦争の合法的な武器であり、われわれはそれを叛徒に対して用いることを躊躇しない」

これは、ナイジェリアの高官の口から、記者会見という公の場で出た言葉です。女性や子供、生れたばかりの赤ん坊を多く含む何十万人という人々が飢餓で死んでいく様を目の前にしながら。

また、ジェノサイド(特定の民族や人種、宗教グループに属する人々を絶滅させる意図を持った集団殺戮)についても言及されています。

人の世の愚かさ。パンドラの箱には最後に“希望”が残されていましたが、それが本当にあるのかと疑いたくなります。

私が何より恐ろしく感じたのは、この作品で扱われている事象が、人間の心根も含めて、現在の世界で行われていることと何ら変わらないことです。中東の混乱も、日本の原発の問題も、その不誠実さと右往左往を、何度、かつてのアフリカの地の出来事と重ね合わせたことか。

この作品は、フォーサイスの主観が前に出過ぎてノンフィクションとしては内容に偏りがあるとの、批判というよりも誹謗があったそうです。しかし、繰り返しますが、フォーサイスはそれを隠さず、堂々と反論しています。

フォーサイスの『戦争の犬たち』は、この『ビアフラ物語』と関連付けて語られます。フォーサイスがオジュクのために『ジャッカルの日』の莫大な印税を使って、アフリカで実際にクーデターを企てたとか、その顛末を『戦争の犬たち』で描いたとか。

この『ビアフラ物語』を読んで、私は、もう一歩踏み込んだ想像をしました。フォーサイスは、ベストセラー作家として世界的な名声を得ることで、政府や公的機関が『ビアフラ物語』を否定しても、彼の言葉の方が信用できるというイメージを作り上げようとしたのだと。その作家人生は、ビアフラの人々とオジュクのためにあったのだと。

戦争の犬たち (上) (角川文庫)

戦争の犬たち (上) (角川文庫)