それでも

加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読みました。再読です。

初めて読んだときには、人間が他者との関係性においてのみ個人で在り得るように、人間の集合体である国もまた他国があってこそ存在し得ることを考えました。

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今回はロシア革命ソ連の誕生が、当時の世界中の国々の関心事であり脅威であり恐怖の対象であり、さらに現代に至るまでの世界史の中心にあるのだということを実感しました。

政治的な権力を持つ人たち、経済的に裕福な人たちが共産主義を忌み嫌うのはわかります。既に持っている当然の権利、即ち既得権益を奪われてしまうのですから。であるならば、国の都合とは即ち一部の人々の個人的な損得勘定ということです。

現実に戦争が起きている状況で、共産主義が嫌いだからといってソ連を邪険に扱うことは出来ません。敵側に取り込まれてしまっては大変ですから。その合従連衡の奇々怪々の代表例が独ソ不可侵条約の成立と、その破棄です。そこに日ソ中立条約を加えても良いかもしれません。

中国もまた然りです。蒋介石が率いる国民党政府は、自国内に中国共産党という敵を抱えながら日中戦争を戦っています。その共産党ソ連と繋がるのは避けたいからと、共産主義を掲げる集団と戦っていながらソ連と手を組むのです。

アメリカやイギリス、その他の連合国側の国々については東西冷戦を挙げれば事足りるでしょう。

近現代史の裏の主人公はソ連であり共産主義という思想だったのだと強く思いました。そして、その共産主義という壮大な実験が失敗に終わったことは歴史の皮肉です。その影響はソ連が消滅した後の世界にもまだまだ色濃く残っています。

わたしたちは世界史の中にいるのです。数十年後、あるいは数百年後、「あの時代」として語られる世界史の中に。

唐突ながら、それにしても船戸与一の『満州国演義』の凄さよ。本書を読んでいる最中、あの叙事詩に心が向かったこと一再ならず。わたしの読書遍歴のなかで、“あの作品”以前、以後という楔のような作品です。