努力と苦労
わたしは苦労をしてきた。この言葉には自己憐憫の響きがあります。
若いときの苦労は買ってでもしろ。そんなことを言う人がいます。その経験が、将来、苦しい場面で役に立つからと。
ご冗談を。
どのような経験であれ、それを糧にして前に進む人は前に進み、そう出来ない人は出来ません。それを苦労と思うとき、その人は主体性を放棄しています。
大切なのは、何かに向かって努力すること。その過程こそ、得難い経験です。何かを成し遂げ、嬉しくて泣く。夢破れ、悔しくて泣く。結果は問うものではありません。
自分は頑張れる。その手応えが実感として心の内にあれば、人は苦しいときに踏ん張れるのではないでしょうか。
決して“苦労”などではなく。
わたしは苦労をしてきた。そう言う人は、きっと努力したことのない人でしょう。