母は惜しみなく

シェイクスピアは『リア王』で書いています。

「When we are born, we cry that we are come to this great stage of fools.」

意訳すれば、赤ん坊が生まれてくるとき泣き喚いているのは、馬鹿げた世界に送り出されたことを嘆いているからということです。

その人の世で、優しい者ほど心に傷を受けます。

それは他人に話せるものではなく、誰もが何でもないという顔を取り繕っているだけです。

その無機質な世界で心が砕けてしまった一人の女性。その彼女が再び世界と向き合うとき、そのきっかけを作ってくれた男性、最愛の夫に銃を向けることになります。

物語の前半に描かれるのは、その女性レイチェルの、母親との葛藤に満ちた関係と、名前も知らない父親を捜す旅路です。

ここ数年、父親と息子の軋轢とともに、母親と娘の葛藤も語られるようになりました。親子というのは性別に関係なく、これという正解のない人間関係です。レイチェルが絶えず母親を意識していることと、会ったことのない父親を求めることは彼女にとって等価値なのでしょう。何故なら、彼女は心優しい人だから。

ですから、銃を向け引き金を引くことと、その夫を複雑な回路を通して愛していることは彼女の中では矛盾しません。そして、夫もまた、それを理解しています。

物語が、レイチェルと夫だけでなく、ある赤ん坊を加えた三人の姿を描いて幕を閉じるのは必然であり、その終着点に向けて筆を進めた作家の力に感動しました。