『冬の光』その①

家族といえども他人です。そのすべてをわかり合えるはずもありません。

篠田節子の『冬の光』は、父親と娘(次女)の二つの視点で語られます。第一章は娘によって、母親と姉を交えた女たちによって父親の(彼女たちの目に映った)姿が語られます。第二章は父親自身によって、第一章で紹介されたエピソードが語られます。

それが、同じなのにまったく違います。一人の人物の二つの姿の差異、あるいは落差。これは認識の断絶です。

そこに登場する一人の女性。主人公の男性とともに学生運動を戦った同士ですが、彼が過去は過去として大企業に就職し、組織の中で上を目指す一方で、彼女は学問の世界に残り、自らの価値感に準じて“世間”と戦います。

清濁を併せ吞むことを手段と見做す男と、妥協を自らに許さない女。二人は人生の折々に再会しては互いの存在を求め、その姿は陰と陽の二つが結びついた勾玉のようです。二人は自分たちを恋人同士、あるいは愛人関係とは認識していません。ただ、自分に欠けたものを補うように相手を求めるだけです。

ずっと家族の目を欺いていたのではなく、間に数年間のブランクを挟みながらの、あるときは偶然の再会から始まり、あるときは喧嘩別れして疎遠になり、二人の付き合いは断続的に続きますが、家族にとっては裏切り以外の何物でもありません。

この断層を生んだ原因は男性にあります。彼は女性の一切を、どんな想いを抱いているのかも含めて家族に話しません。それは家族といえども共有することの出来ない(告白をするということは、それを双方が共有するということです)領域だったのでしょう。

それが一過性の浮気だったら。しかし、彼にとって彼女の存在が大切に思う家族と同じくらい、かけがえのない宝だったことが双方の歩み寄りを不可能にしてしまいました。

二人が決定的に分かれた数年後に、あの東日本大震災が起きます。そこでボランティアとして活動した後、男性は四国八十八箇所巡り、いわゆる「お遍路さん」に出かけます。そこで彼が目にしたのは、修行とは呼べない、地域経済に組み込まれた体験型イベントとしてのお遍路でした。

その中で出会った一人の女性に、彼は救われたのかもしれません。心の病を持ち、精神のバランスを取れない彼女は旅のお荷物であり、彼は何度も別れて一人の旅を続けようとしますが、そう出来ませんでした。むき出しの心。それをぶつけて来られたとき、逃げることを自らに許せなかったら、正面から受け止めるしかありません。

去る者は日々に疎し。彼の死後、妻は夫のいない、娘たちは父親のいない生活に慣れていきます。彼の真実の物語は家族に伝わることはなく、断絶は横たわり続けます。

しかし、最後に判明する彼の死の真相。それを知った娘の涙は、彼の一生が無駄ではなかったこと、生きてきた時間、その想いが受け継がれたことの証です。

冬の光 (文春文庫)

冬の光 (文春文庫)