反省会

80年代を代表するキャッチコピーのひとつ、「反省だけなら猿でも出来る」。

先の戦争において、作戦の立案を含み、実際に軍という組織を動かしたのは佐官レベル、課長級の人たちだったと何かで読んだ記憶がありました。それ以上の将軍たちは上げられた書類に承認の印を押すだけだったと。

その人たちの戦後の会合の様子を収めたのが本書です。

語られることのポイントはアメリカとの開戦です。

外に向けては、まさかアメリカがあそこまで強硬な態度に出るとは思わなかった。ヨーロッパ戦線でドイツが、西部戦線ではイギリス本土を制圧し、東部戦線ではソ連を打ち破るであろうという見通しが甘かったと“反省”します。

内に向けては、あらゆる統計、計算、シミュレーションにてアメリカと戦争を行う国力が日本にはないことは明らかだったが、それを主張出来る“空気”ではなかった。そうして報告書は改竄され、数字は自分たちの都合に良いように水増しされた。仕方がなかったが、言うべきことを言えなかったことが悔やまれると“反省”します。

彼らが反省しているのは、もっと上手い作戦を立て、もっと上手く戦争を遂行出来なかったことです。自分たちの未熟なものの見方、戦略眼のなさ、狭隘な保身、拙い作戦によって万単位の人々が無駄に死んでいったことへの言及はありません。

そして、有名な陸軍と海軍の不仲。作戦で連携するどころか、相手が何を考えているのか互いに知ろうともしません。ただただ、自分たちだけで戦争の準備を整えていきます。それは、本書では触れられていませんが、予算獲得のためです。行動予定がなければ予算はつきません。陸軍と海軍が互いに予算面で相手に劣ってはならないと張り合ったのです。そうして、これだけのことをやった、つまり膨大なカネを使った以上、何もせずに元の状態に戻るわけにはいかないと自縄自縛に陥ります。

本書では海軍の身勝手さに批判が集まります。特に名前が挙がるのが、山本五十六です。その行動のすべてにおいて、邪魔をしてくれた、余計なことをしてくれたという論調です。自分たち陸軍に協力を仰いでいれば、もっと上手くやれたのにという口ぶりです。

本書を読んで最も驚いたのは、戦前の日本は、昭和13年をピークとして経済が成長していたという話です。国内の不況を打破するために中国大陸に進出したのだと理解していましたし、2.26事件の背景には、青年将校たちの農村の貧困に対する同情があったはずです。

これは現在の日本と重なります。戦前は財閥が富を独占し、現在は大手企業が内部留保を溜め込んでいるということなのでしょうか。ここは読み終えても消化不良のまま、わたしの中に残っています。

その好景気によって得られた富が軍事費に回され、それがエスカレートすることによって困窮していき、多くのものを輸入に頼っている以上、それを止められたら資源を求めて戦争をするしかないという理屈の、どこに“理”があるのでしょう。

「空気」という言葉が何度も出て来ます。ここ数年、空気を読むという表現を多く耳にしますが、それは昨日今日始まったことではないのです。昭和52年に、昭和16年頃のことが話し合われる場において、既に当たり前のこととして頻出しているのです。

歴史(あるいは過去)に学ぶといいますが、先の戦争は(歴史や過去ではなく)現在のことだと思えてなりません。それはとても怖いことです。