『贖罪の街』

マイクル・コナリーの『贖罪の街』を読みました。前作の最後を承けて、ハリー・ボッシュはロス市警を追われた立場にあり、弁護士のミッキー・ハラーのために殺人事件の調査をすることになります。

犯人を訴追する側と、弁護する側。そのルビコン川を越えたボッシュは、裏切り者の名を受けて、すべてを捨てはしませんが、真実の究明に向けて戦います。

かつての仲間たちの非難は覚悟していたボッシュですが、父親と同じ刑事になることを志望している娘の拒絶に深く傷つきます。

それでも捜査を続けるのは、被告を犯人とすることに疑いがある以上、真犯人が別にいて現在も街を自由に闊歩しているなら、その歪みを正すべきだという信念からです。

いままでにない特徴として、同じ正義であっても、(元)刑事のボッシュと弁護士のハラーでは求めるものが違うということが挙げられます。無実の罪を着せられた人を助けるに際して、ボッシュは真相の解明を追求し、ハラーは裁判で資するものを望みます。これは同じようで違います。

この背反が、警察を離れて敵対する(と警察が捉えている)ボッシュの不安定な立ち位置にさらに捩じれを加え、さすが小説の匠、変わらずの完成度の高さで、ページを繰る手が止まりません。

物語の最後、ボッシュの最愛の娘マディが彼に微笑みます。それこそが何よりの報酬だとするのは感傷が過ぎるかもしれません。しかし、幼い頃、母親を異常な形で失くした彼にとって、彼女の愛と信頼こそが守るべきものであり、その微笑みは、彼の妥協することのない生き方が間違っていないことの証です。

いまのボッシュは、初期の一匹狼の頃の激しさはないかもしれませんが、その頃よりも比較にならないくらい強いと、わたしは思っています。