『東京BABYLON』

CLAMP(という漫画制作集団)に『東京BABYLON』という作品があります。陰陽師の皇昴流(すめらぎすばる)と双子の姉の北都、そして桜塚星史郎の三人が活躍する怪奇ファンタジーです。

星史郎は“桜塚護(さくらづかもり)”と呼ばれる、陰陽術を使う暗殺集団に属しています。昴流が幼い頃、ある殺人の現場を見られた星史郎は賭けをします。昴流の中の、自分と出会ったという記憶を封印し、将来、自分が昴流を、自分にとって大切な人と思えるようになったら、昴流を殺さずにおこうと。

というのも、星史郎は、桜塚護になるために、先代の桜塚護である自分の母親を殺したという過去があります。生来のメンタリティーも含めて、星史郎は人としての感情が欠落しています。喜びや悲しみ、痛みも自身の外部にあるものとして認識するだけです。そこで、星史郎は昴流に対して、と同時に自分に対して、上記のような賭けをしました。

昴流を大好きだという意思表示を絶えず繰り返し、多くの事件の中で、ともに笑い、悲しみ、時には相談にのって助言をし、単なる友人以上の付き合いをします。それは一見幸福に満ちた時間でした。

しかし、その偽りの時間にも終わりが来ます。ある事件で、星史郎が昴流を庇って片目を失った時、昴流は星史郎が自分にとって特別な人だと認識します。罪の意識に苛まれ、取り乱す昴流。

まさにピンポイントのタイミングで、その昴流に追い討ちをかける星史郎。星史郎は自分には人としての感情が無いこと、昴流が好きだというこれまでの態度はすべて演技だったことを告げます。昴流を好きだという振りを続けることで、それが本物の好意に変わるかもしれないと試していたのだと。躍起になってそれを否定しようとする昴流。星史郎はその昴流の腕を、表情を変えずに折ります。「ほら、こうやってきみの腕を折っても、僕には木の枝を折ったのと同じなんだよ」と。

昴流の心が死にました。

その昴流を見て、北都は涙を流します。「あの人の邪悪さに薄々気付きながらも、三人にとって幸福な結末を迎えられるという願望に負けてしまった」と。北都は星史郎に闘いを挑み、その手にかかって命を落とします。

CLAMPの多くの作品のキャラクターが一同に会する、『東京BABYLON』の続編的作品の『X』で、二人は再会します。昴流はずっと星史郎を追い続けていましたが、それは姉の仇を討つためではなく、愛する星史郎の手にかかって死ぬためでした。対峙する二人。しかし、星史郎は自分から命を差し出すかのようにして、昴流に殺されます。そして、昴流はフォースの暗黒面に堕ちたダース・ベイダーの如く、新しい桜塚護になります。

桜塚星史郎は人としての感情、社会的常識、その他様々なくびきから自由な、クールなキャラクターとして人気を博しました。

いつからか、この“他人の痛みを理解できない人間”が現実社会で事件を起こすようになりました。私にとって、そこにあるのは悲しみよりも不快感でした。そして、漫画家の想像力の産物である、現実にはあり得なかった(はずの)人間が実際に現れたことへの恐怖でした。

同種の事件が起きるたびに、私はこの桜塚星史郎を思い出し、現実が虚構を追い越したと隔世の感を強くします。

※読み直したところ、一部記憶違いがありましたので、加筆訂正しました。