説得力
私は日常的に本を読むことを習慣にしています。ジャンルは問わずに興味を持ったものを手に取っていますが、その中でも特にミステリーと呼ばれる作品を読むと、「リアリティ」とは何だろうと考えます。
ミステリーは実際にあった出来事を下敷きにしていたとしても、基本的にフィクション、作り物です。その前提のうえでリアリティとは何か。
それは綿密な取材に基づいた緻密な描写かもしれません。読者の知らない専門的な知識に基づいた描写かもしれません。そこに作者のはったりが加味されていたとしても、読んでいる最中に不自然さを感じることが無ければ、「なるほど、こんなこともあり得るかもしれないな」と思えれば、それはリアリティを持っていると言えます。
つまり、リアリティ=説得力(納得させる力)です。
ここからが本題。では、格闘技における説得力とは何でしょうか。それを考える上で、私にとって重要な試合があります。それは安田忠夫VSジェロム・レ・バンナです。
この試合、その宣伝の中で、安田の金銭的なルーズさと借金問題、その結果としての家族の離散。そして、娘との和解というストーリーがこれでもかと前面に押し出されました。それは刷り込みと呼べるほど徹底したものでした。
安田は相撲取りとして出世しながら廃業してプロレスラーになったというキャリアの持ち主です。対するバンナは、ハードパンチャーとして誰もが認めるK-1のトップファイターです。戦前の予想は、安田は技術的にも未熟で、バンナの圧勝。ところが……。
結果は安田の、ギロチンチョークによるタップアウト勝ち。試合前から盛り上がっていた観客のボルテージは最高潮に達しました。誰もが安田の勝利に歓喜していました。
それは、上記の安田の物語が大団円を迎えた、その瞬間に立ち会っている興奮がもたらした側面が大きいのは確かです。宣伝との相乗効果もあったでしょう。しかし、肝心の試合内容に満足できなければ、観客は納得もせず、喜びもしません。安田は技術的に未熟な中堅プロレスラーに過ぎません。では、何が観客を納得させたのか? 安田の何が説得力を持っていたのか?
私見ですが、それは安田の必死さです。観客もその威力を充分に承知している、バンナのパンチとキックに恐怖を覚えながらも、愚直に突っ込んでいった、必死の形相です。あの気迫は観客の心を鷲掴みにしました。今になって比較するなら、それは、格闘技オタクと揶揄される青木真也の奇抜な関節技に匹敵する説得力、観る者を捉える力を持っていました。
世界最高レベルの技術を持っている選手だけがリングに上がる資格を持っているのではありません。格闘技は技術の品評会ではないのです。
観客の一人ひとりが、あの試合に、あの安田の姿に、試合の攻防とともに“何か”を見たと確信します。あれは、良い試合でした。