言葉にする

人が亡くなったとき、次から次へとやることが押し寄せてバタバタと忙しいのは、遺された家族が悲しみに浸る暇を与えない知恵だと、何かで読んだことがあります。

葬儀を含む一連の儀式は、死者のためというよりも、遺された者の心の安寧のためにあるのかもしれません。

どれだけ精一杯のことをしても、大切なヒトが自分の前から姿を消した後には、「もっと話したかった、話を聞きたかった。もっと一緒の時間を大切にしておけば良かった。もっともっと……」という悔恨が残ります。満足などありません。

もっと切実に、「あんなことを言わなければ良かった。あんな態度を取らなければ良かった」という後悔に苦しめられることもあるでしょう。

その死者に会う手段を手に入れた環(たまき)。それが不自然なことだとの後ろめたさを覚えつつも、家族に会いに出かけることを止めることができません。温かく迎えてくれる家族。しかし、その様子は、自分が知っている家族とは微妙に違います。それは何故か……。

その“手段”を手放さなければならなくなった環は、自分の足で走って家族の元に向かう決心をします。ジョギングを始め、ぬる〜いマラソンチームにも入り、走ることに上達していきます。しかし、それは環に非情なパラドックスを突きつけます。

穏やかで端正な文章と、散りばめられたユーモアがバランス良く溶け合った、静かでありながら力強さに満ちた小説です。

言葉にできないのは、言葉を尽くした後のことです。立花隆は、「人間は、言葉によってのみ思考する」と言います。

言葉にすることに倦んではいけません。

ラン (角川文庫)

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