『リプレイ』

ケン・グリムウッドの『リプレイ』の名前は知っていましたし、傑作との評も承知していましたが、ずっと読まずにいたのは巡り合わせとしか言いようがありません。あるいは、わたしの読む準備がようやく整ったのが“いま”だったのかもしれません。

誰もが、もう一度同じ人生を繰り返したいかと問われたら嫌だと断るものだと聞いたことがあります。『リプレイ』の主人公もまた、過去に戻って人生をやり直すことになったとき、違う道を選択します。自分だけが知っている未来の知識を利用して賭博や投資で大金持ちになったり、愛欲にまみれた生活を送ったり。そういう生き方に価値を見出せず孤独に暮らしたり、この不思議な現象の謎を解こうとしたり。

読んでいて感じたのは、それらの異なる生き方について著者が正誤の判断をしていないことです。すべてが等価値であり、そこに正しいも間違いも優劣もないのです。ですから、主人公が真理に目覚めて正しい選択をしたとき、この不思議なループから解放されて立派な人生を歩むことになってハッピーエンドを迎えるというものではありません。

ひとつの仕掛けとして、リプレイを繰り返すたびに戻る時間(年月)が少しずつ短くなっていることが挙げられます。言い換えるなら、「また過去に戻ってきた」と自覚して目覚める日が、あらかじめ死ぬと決まっている日に近づいていくのです。そうして迎える物語の最後。

何が起こるかわからない、未知であることの素晴らしさ。そこにあるのは可能性です。いま手にしているものの手垢すら、それを損なうものではありません。

ある人生の中で、主人公は娘をもうけ、こんなにも誰かを愛することが出来るのかと自分で驚くほど愛おしく思います。しかし、死んで過去に戻ったとき、そこは愛する娘が存在しない世界です。ただ失ったのではない、その圧倒的な喪失感と孤独。

あるいは、過去に戻ったら、以前の人生では結婚し愛し合っていた女性も他人の一人に過ぎず、誰とも思い出を共有することが出来ません。たった一人、主人公と同じようにリプレイを繰り返している女性を除いて。その女性とすら、戻る過去の時点に段差があり、彼は彼女を知っているのに彼女は彼を知らないということもあります。その他者と、他者しかいない世界との断絶。

それらを包含して、この人生は愛おしい。この小説を読んでいるアナタの人生もまた、そうではありませんか? そんなふうに優しく問いかけられたように感じながら読み終えて本を閉じました。

リプレイ (新潮文庫)

リプレイ (新潮文庫)