反射神経

私の家族が遭遇したこと。

ある在来線でのこと。酔っ払った男性が車両から車両へふらふらと行きつ戻りつしていました。どうやらトイレを探している様子。

そして、ようやく見つけたものの、そこには故障中の張り紙が。男性は再び別の車両へ。しばらくして戻ってきた男性は、車両と車両の間の連結部分で、おもむろにズボンのファスナーに手をかけ、周囲の乗客が唖然とする中、用を足しました。

それを見て不愉快に思ったのか、若い男性が近づき、いきなり酔っ払いの男性を蹴り始めました。

すると、突然、年配の女性のヒステリックな声が。「暴力はいけません、暴力は」

女性の勢いは止まりません。「どんな理由があっても、暴力はいけません。男たちは何をしているんですか。どうして止めないんですか」

そうこうするうち、列車は駅に停まりました。そこで降りようとする年配の女性に、若い女性が近づきました。どうやら、年配の女性が「この様子を携帯電話で撮影し、それをネットに公表する」と言い出した模様。それに対して、若い女性が年配の女性の肩を掴んで「そんなことは法律的に許されない」と諭したようです。年配の女性は、「離してください、触らないでください」と叫びながらホームに降りたそうです。

さて、その場に居合わせた場合、私はどうすべきだったでしょうか。

ここでポイントになるのは、酔っ払いの男性の状態です。彼は、泥酔していても、客車の中で漏らすほどではありませんでした。トイレを探し、それが故障中と認識して別のトイレを探しなおす程度には正気でした。どうしても我慢できないとなったとき、人のいない連結部で手早く済まそうとする程度には考えることができました。

ならば、第一に、その酔っ払いの男性が連結部で用を足そうとしたときに席を立って、(それが方便に過ぎなくても)駅が近いことをを教えて我慢させ、駅に着くと同時にホームに連れ出し、「あの階段を降りるとトイレがある」とおおよそのことを教えて、自分は車内に戻るという行為が考えられます。

それが間に合わなかったなら、第二に、若い男性が酔酔っ払いの男性を蹴り始めたとき、それを止め、次の駅で、若い男性と協力して酔っ払いの男性を駅のホームに連れ出してベンチに座らせ、自分たちは車内に戻るということもできます。

ここからが本題です。

このアイディアは、顛末を聞いた上で考えたものです。では、その場に実際に居合わせたとき、私はこのように行動することができたでしょうか?

情けない話ですが、「わからない」というのが答えです。このように得意気に書いていながら、何も考えられずに、事態の推移を呆然と眺めるだけかもしれません。あるいは、我が身可愛さに、我関せずと無関心を決め込むかもしれません。

咄嗟に、後になって後悔しない行動を取れる。これも反射神経の一つです。

そうありたいと願うだけでは、そうなれません。日々のすべてが修行です。