a sense of moral outrage

佐々木俊尚の『「当事者」の時代』を読んで唯一不満に思ったのは、記者クラブの弊害について触れていないことでした。

特殊な組織が情報を独占する。これも既得権益の一つです。それを自らに許す者が、他人を同じ言葉を使って批判する。ジョークにもなりません。何故、世界的に見ても不自然で悪評高い“記者クラブ”という組織、制度があるのか。

マーティン・ファクラーの『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)を読んで、その不自然さの一端を垣間見ることができました。

本書によると、大手新聞社に入社を希望する学生は、同時に大企業も志望することが多いそうです。つまり、彼らにとって大手新聞社は、社会的ステイタスがあり給与水準も高い、就職先として魅力的な企業の一つに過ぎないのです。それでは、ジャーナリズムという思想が生まれることも根付くこともあり得ません。

記者クラブという情報寡占組織を作っておけば、誰もが同じ情報を手に入れることになり、自分が特ダネを手に入れることができなくても、同業者に先を越される心配はなくなります。ジャーナリストとしての矜持よりも企業の一社員であることを優先するなら、それは理に適っています。

そして、取材対象と密接になれば、(情報をくれる)その人が困ることは書きにくくなるのが人情です。

結果、発表されたことを誌面に割り振るだけ。まさしく、コピー&ペースト。

また、日本の大手新聞社に入社するのは高学歴と云われる大学を卒業した人たちで、それは官僚と同じであり、彼らが元同級生や同窓生として仲間意識を持っているという指摘には、驚くとともに腑に落ちるものがありました。

どうして新聞は原発問題でも消費税の問題でも政治家よりも積極的に推し進めようとするのか不思議に思っていましたが、官僚と一緒にこの国を運営しているつもりになっているのだと考えれば、その論調も理解できます。

長らく政治不信が叫ばれていますが、昨今のマスコミ不信はそれ以上です。それはネットの普及などという表層的な理由からではありません。そこから逃げているかぎり、発行部数や視聴率といった数字の下落は止まらないでしょう。

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)