何もしていない

この夏も、微々たる金額ですがボーナスが出たので、「あしなが東日本地震津波遺児基金」と「国境なき医師団日本」に寄付をしました。

こうして寄付をするたびに、わたしは何もしていないと感じます。

学生の頃だったでしょうか、友人の家に遊びに行ったところ、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』が部屋にあり、名前を知っているだけで特に興味もありませんでしたが、何の気なしに手に取りました。

何かのPKO活動に関する回だったでしょうか、作品の中で、いかにもアメリカ人といった風貌の白人が、金を出すだけで現場で身を危険にさらすことのない日本人を罵倒します。それに対して著者が、大略「自分は身を削って仕事をして、たくさんの税金を納めている。それが活動費用として使われているのだから同じことだ」と啖呵を切り、ペンだこが出来た指を見せつけ、その迫力に圧倒された相手の外国人が言い負かされて頭を抱えるという内容のものがありました。

あるとき飲みながら、その友人は「すべてはその人の自己満足」と言いました。他人との比較に意味はなく、自分の納得こそが大切ということで、それには大いに頷きました。しかし、どこで満足するかを想定するとき、そこで自分の限界をも見定めることになります。自己満足とは妥協との抱き合わせです。

毎年、夏と冬の二回、寄付をするたびに、わたしは何もしていないと感じます。