失望と諦観

民主党への失望は、ただ民主党に向けられたものでしょうか。

その政権末期、野田佳彦首相(当時)のとき。既に政権の基盤と呼べるものはなく、野党の自由民主党の協力がなければ何一つ決められない状態でした。

そうして政策議題の俎上に上がったのが原子力発電所の再稼働と、消費税の増税です。

それに反対するデモが首相官邸を取り囲みました。

野田首相と閣僚たちは、どうしたか。無視しました。あたかも何もないかのように振る舞いました。無表情で、冷淡に。

その態度は、彼らが散々批判してきた自民党そのもの、否、それよりも酷いものでした。

「自分が(たった一票を)投票しても何も変わらない」

選挙の際に投票に行かない人の常套句です。

わたしは、この言葉が以前と比べて、よりシニカルな気持ちとともに口にされているように思います。

民主党への失望は、もっと罪深いものを生み出しました。

政治家は与党と野党、立場に応じて言うことを変えるもので、政権交代があったところで何も変わらない。誰に投票しても同じことだという諦めです。

そう考えると、安倍首相の政権基盤の強さが理解出来ます。

安倍首相がすべての国民の生命と財産を守ることを第一に考えてはいないことは、誰の目にも明らかでしょう。少なくとも、わたしにはそう見えます。

彼が利益をもたらそうと目を向けているのは国民全体ではなく、その一部の人たちであり、その彼ら彼女らは、安倍首相が転向しないかぎり支持し続けるでしょう。

そうなると、反安倍を掲げる人たちは、その中で支持と票を奪い合うことになり自滅、結果的に安倍首相の勝利に資することになります。

蝉の鳴き声が、岩ではなく心に沁みるお盆です。