期待と失望

安倍首相の長期政権を可能にしている要因の一つに、かつての民主党政権への幻滅があると指摘されています。

期待と失望は一枚のコインの表と裏。その大きさには相関関係があります。

安倍首相と彼の率いる自由民主党の現在の隆盛をもたらした“民主党への失望”が大きかったのなら、それは何故でしょうか。それは民主党への期待が大きかったからです。

では、民主党への期待が政権交代をもたらすほど大きかったのは何故でしょうか。それは当時与党だった自民党への失望が大きかったからです。

現在の自民党の隆盛が、かつての自民党への“大きな”失望に端を発しているという皮肉で歪んだ構造。

この流れのキーマンは、実は安倍首相本人ではありません。それは小泉純一郎です。

彼は「自民党をぶっ壊す」と言って総理大臣になり、有言実行の人でした。小泉純一郎以前と以後。後世、自民党の歴史はそのように区別、認識されるはずです。

古い自民党への失望が、民主党という異物を間に挟んで、新しい自民党への期待と支持に繋がったのですから、小泉純一郎が現状の生みの親と言っても間違いではないはずです。

その小泉純一郎が安倍首相を批判しているのが、自らの責任を自覚しての良心の呵責からのものとも思えず、もう何が何やら。