宮仕えは辛い

山田風太郎は、自作の採点が辛いことで知られています。どう読んでも傑作と思える作品が、本人に言わせるとB級やC級との評。“忍法帖”シリーズにおいて、そのなかでA級とされるものが、90年代前半に講談社ノベルスで刊行された作品群です。これらは一期と二期に分かれているのですが、正確に言うと二期の作品については必ずしもA級のお墨付きが与えられていません。何と厳しい。

その選から漏れた作品のひとつ、『忍法双頭の鷲』が復刊されました。

作家自身は、“忍法帖”シリーズに登場する特異な忍者を「芸術家」と評していますが、先の戦争の時代、つけていた日記『戦中派不戦日記』の1945年8月15日に、たったひと言「帝国ツイニ敵ニ屈ス」としか記すことの出来なかった人です。その設定や物語に、人間と人間の体を道具や単位としてしか扱わない権力の傲慢に対する憤怒と諦観を読むことは、あながち間違いではないと思います。

この『忍法双頭の鷲』は、五代将軍綱吉の時代の物語。自らを「生まれながらの将軍」と宣言した三代将軍家光の時代も過去のこと。大名から戦国の気風が失われているように、(あくまでもこの作品の設定として)忍者もまた作家が指摘する芸術家の気概を失っています。

徳川綱吉の五代将軍就任とともに起きた幕府内の権力闘争の結果、それまで幕府の公儀隠密だった伊賀者に代わって取り立てられたのは、不遇をかこっていた根来組。その首領は、新しい権力者に忠誠を誓い、働きを認められることで組織の栄達を図ろうとします。

その配下で健気に頑張るのが、二人の若い忍者。厚い友情で結ばれながら、ともに首領の娘に恋をしているという間柄です。

しかし、前任者を追い落として権力の座についた者は、次は自分が同じ目に遭います。そうして、根来組は、自分たちが伊賀者を粛正したように、甲賀組によって同じ憂き目を見ます。

芸術家であり、自分が敵よりも優秀であることを証明することにすべてを賭け、誇りを抱いた忍者が、組織内で生き残るべく権力者に我が身を託した結果ですが、これを嗤える人はいないでしょう。

唯一の救いは、上記の若い忍者二人と首領の娘が逃げ延びたことです。男二人と女一人。すんなり「幸せになりましたとさ」とはならないでしょうが、組織の汚辱を吹き払ってくれる爽やかなラストでした。

忍法双頭の鷲 (角川文庫)

忍法双頭の鷲 (角川文庫)