曲解・硬派の宿命

生物の進化の過程において、それは徐々に進むのではなく、あるとき突然変異的な異端が生まれ、それによって階梯を一気に上ると聞いたことがあります。

地球を一つの生き物として捉える思想があり、それは地表で蠢く生き物を含みます。その中の一部、人間の作る社会も一つの生き物(あるいは、その一部)として見たとき、わたしたち個々人は人体における要素の一つの如きものに還元されます。

その人間の作る社会が(進化と呼べないのが残念ですが)変化するとき、そこには上記の突然変異的な異端がいると考えるのが自然です。

そう考えたとき、船戸与一が定義する“硬派”こそ、事態を動かす者と思えます。

この場合の硬派については下記を参照してください。

http://d.hatena.ne.jp/ocelot2009/20090711/1247320976

この硬派と似た存在として、「神話や民話に登場し、人間に知恵や道具をもたらす一方、社会の秩序をかき乱すいたずら者。道化などとともに文化を活性化させたり、社会関係を再確認させたりする役割を果たす」(大辞林トリックスターがいます。

この両者は平穏な時代、成熟した社会には居場所がありません。当然です。

しかし、権力が腐敗することを免れないように、人の世もまた、熟した果実が地面に落ちて潰れるよう内部から蝕まれていきます。人は、それほど高邁な存在ではありません。

そのとき、硬派やトリックスターが再び必要とされ、活躍する舞台が用意されます。

そう、硬派は(多くはその死によって)舞台から去ることを宿命づけられていたとしても、必ず次なる硬派が現れるのです。

『山猫の夏』には、山猫が死んだ後には物語の語り手の“おれ”がいました。

『猛き箱船』には、隠岐浩蔵を倒した香坂が(その後死んでしまい、短い間でしたが)いました。

他の船戸作品でも、この継承が多々見られます。

硬派は時代の徒花などではありません。舞台を去るのが硬派の宿命なら、必ず何度でも現れるのも硬派の宿命。

だから、受け継ぐというのは大切なのです。他人から自分が受け継ぐだけでなく、自分から他人(この場合、往々にして年若い者たち)へ受け継ぐことも。

そんなことを想う、東京から帰ったばかりのわたしです。