東京小旅行⑤

二日目は、前記の三部構成に加えて、もうひとつイベントがありました。

ホテルにチェックインして、ベッドにごろん。一時間半くらい仮眠を取りたいと思っていましたが、そうは問屋が卸しません。静かに静かに興奮が這い上ってきて、目を閉じて寝返りを打つばかり。

スマホのアラームが鳴ったときも目が覚めていました。さあ、シャワーを浴びて出かけます。

会う相手は、直接の面識はないものの、ずっとブログのコメント欄やツイッターで交流があった、「硬派の宿命・野望篇」の泰山さんです。

わたしが初めて個人のブログにコメントを寄せたのが、泰山さんの旧ブログでした。

あれはもう瞬間的な判断、衝動だったとしか言えません。後から理屈はいくらでも付けられますが、そんなものに意味はありません。

読み返してみれば、他人様のブログのコメント欄に長々と、わたしの話を聞いてほしいと言わんばかりに書き連ねる姿に恥じ入るばかりです。ごめんなさい。

駅で待ち合わせ、さあ対面です。声をかけられて視線を上げると、穏やかな笑みを浮かべた泰山さんが。お目にかかれて嬉しいですと挨拶した後、思わず言ってしまったセリフが、「泰山さんって本当にいたんですね」で、苦笑されてしまいました。そのぐらい、わたしにとっては周囲の誰とも違う存在の人だったのです。

近くの居酒屋に入ったら、もう言葉が止まりません。生ビールを頼んだ後、料理を注文するのも気がつかないくらい、話して聞いて、聞いて話して。

どうしたって相手が格上。ここに人物評を書くのもおこがましいので、辺見庸が対談集『屈せざる者たち』で船戸与一を紹介したイントロダクションそっくりそのままだとだけ記しておきます。

三時間半、ノンストップ。でも、やはり会話を導いてくれているのは泰山さん。話を聞かせてもらえば楽しく面白く、わたしが話せば自分なりの解釈などせずにそのまま受け止めてくれます。この混然一体感とでも言うべき心地よさは何なのでしょう。

腕時計を見て、お開きの時間と席を立つ段になっても、話し足りないどころか、まだ何も話していないと残念になったくらいでした。

さあ、その後です。少し歩きましょうといって連れて行っていただいたのが、何と、船戸与一が生前住んでいたマンション。これには驚きました。荻窪で飲みましょうとなった際、船戸が住んでいた町と聞いていましたが、まさかまさか。

ここで、遺作となった“満州国演義”シリーズの最終巻『残夢の躯』を書き上げたのかと思うと、参りました、涙が溢れました。

泰山さんの奥様が、半纏姿で歩いていてラーメン屋に入っていった船戸を見たことがあったそうで、そのユーモラスな姿を目の前の路上に想像してしまい、何だかもう胸いっぱいになりました。

ずっといただいてばかりという気持ちがあって、少しはお返ししたいとも思っていましたが、わたしはわたしでしかなく、見栄を張ったところで見透かされるだろうし、己の力不足に歯噛みする想いです。

次はもう少し頑張ります。

ありがとうございました。わたしがあのコの近くにいることはとても良いことだと思うというあの言葉は一生の宝物です。