ボクシング雑感

二つのボクシング世界タイトルマッチ。当初のメディアの扱いは、山中慎介が主で、長谷川穂積は従でした。しかし、試合後は逆転し、長谷川の(試合内容ではなくボクシング人生における)逆転劇がクローズアップされることとなりました。

山中の、前の試合の接戦を経てのKO決着もまた素晴らしいストーリーでした。しかし、彼が偉大なチャンピオンであることは十分に承知しつつ、今回は誰もが長谷川の快挙に目を奪われたのです。

それは何故か。ここに、格闘技を見るという行為の特殊性があります。

戦う者に、自己の内面のなにがしかを投影し重ねてしまう。長谷川の挫折は、多くの観客と視聴者にとって他人事ではなかったのでしょう。勝つとか負けるとかではなく、戦っている姿が胸を打ちます。しかし、それでも勝負事。勝ったからこそ拍手喝采するのであり、負けたら「感動した」の一言で終わっていたはずです。

やはり、勝たなくては。そう思いつつ、敗者となった二人の選手にも拍手を送りたい。今回は敗れるという結果になりましたが、それで彼らの価値が減じるものではありません。もちろん、チャンピオンと無冠のランキング上位選手の間には大きな隔たりがあります。ファイトマネーも違ってきます。それでも、ファンは応援します。一度敗れたからといって軽蔑したりしません。

この辺りの機微が格闘技と他のスポーツでは違うと、わたしは思っています。これがわたしの独善であり、それぞれの競技のファンにはそれぞれの思い入れがあることも理解しているつもりですが、心がざわめくのを止めることが出来ません。(具体的に何をということではなく、単純に)自分も頑張らなくちゃ。そんなふうに落ち着かなくなります。