講演と演説
話すことも、意図を伝えるという目的がある以上、技術です。
講演会などで、一人の講演者と大勢の聴衆という不均衡がありながら、巧みな話者にかかると、聴き手は「この言葉は自分に向けて発せられている」と、一対一で語りかけられているように感じます。
それと正反対なのが、選挙の演説です。叫び、がなり、また叫ぶ。そこに上記のような実感が生まれることがあるとは、わたしには思えません。
あるのは、その場限りの盛り上がりだけ。そして、一過性の興奮は時間とともに冷め、人を継続的な行動に駆り立てることはありません。
それは、事前の世論調査で「関心があり、投票に行きたい」と答える人の数と実際の投票率がまったく違っている事実からも明らかです。
「すごい熱気です」やら「手応えは十分です」やら、興奮しているのは喋っている側だけ。それが結果に結びつかない選挙をどれだけ繰り返せば、その温度差に気付くのやら。
さて、この夏の参議院議員選挙はどうでしょう?