『新・映像の世紀』

100年前の人たちと現在のわたしたちに違いがあるかと問われたら、わたしは「ない」と答えます。使う道具の性能が上がっただけで、人間それ自体の中身は変わっていません。しかし、道具の性能が上がるということは、それらが使われた結果もまた大きくなるというです。

この人間と道具の進歩の不均衡。

銃が人を殺すのか、銃を使う人間が人をころすのかという設問は愚か。人間が人間を殺すのです。では、どうして人間は銃というものを作り出してしまったのでしょうか。

その答えを安易に並べる前に、人間は自分たちが思うほど立派な生き物ではないということを自覚するところから始めなければいけないと、わたしは思います。

画面に映し出される悲劇は、わたしたちが自ら作り出したものです。100年前の人たちではなく、わたしたちが。その想像力なくして、これからのことを考えることなど出来はしません。

そして、テレビ画面のなかからわたしを見つめる小さな子供たちの目、目、目。それらから視線を逸らしてはいけないと、必死の想いで見つめ返しました。

世界中を舞台にした、大国たちのパワーゲーム。それに乗り遅れてはならないと焦る“偉い人たち”の自尊心のために他の誰かが犠牲になることは、どのような言い訳を並べようと決して許されることではありません。

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