これも良い読書

その対象が何であれ、たった一冊の本を読んだだけですべてを理解することなどできません。書かれている内容を肯定するのであれ否定するのであれ、自分の考えを確立するための材料に過ぎません。

ジャンルの区別なく、ノンフィクションを読む醍醐味は、わたしの知らない専門知識、思いもしなかった理の筋道を知ることによる、その本を読む前の自分の否定をも含む価値の逆転です。その知的刺激は純粋な喜びです。

内田樹の『待場の中国論(増補版)』を読みました。

著者が冒頭で書いているように、専門家でもなく内部情報にアクセスもできない門外漢が報道されている一般的な情報を基に想像力を巡られて中国の本質に迫ろうという姿勢に貫かれた本書は、その構造上、上記のような読み応えを読者に与えることができません。

唯一それができるのは、著者の“ユニークな解釈”です。それは「思いもしなかった理の筋道」と似ていますが、あくまでも(その人がどう考えるかという)主観の話です。その説得力だけが武器になります。

内田樹を批判する人は、専門家ではない立場からの想像力を駆使した論の、土台の部分の脆弱性に信を置けないのだと思います。しかし、一人の人間が万人がひれ伏す“正解”を知っているということはありません。

この本を読んで、ひと言でいえば、わたしは説得されませんでした。しかし、それで良いと思います。読みながら、自分なりに考える、その材料として租借できれば、それで十分でしょう。

あくまでも“現時点での”という但し書きがつく最適解。それは絶えず上書きされるもので、だからといって自身の不明を恥じるものではありません。

読者としてディスカッションに参加できたと思える、読んで良かった本でした。

増補版 街場の中国論

増補版 街場の中国論