変わる

映画『ロッキー4』の話。

東西冷戦の真っ只中、敵地ロシアに乗り込んだロッキーは、敵愾心むき出しの観衆に囲まれて四面楚歌のなか、強敵ドラゴと闘います。しかし、ラウンドを重ねるにつれ、機械のように冷徹だったドラゴは闘う者の激情を表していき、いつのまにか観客はロッキーにも声援を送るようになります。

そして、試合の後。ロッキーは叫びます。「試合を通してオレは変わった。みんなも変わった。誰でも変われるはずだ」と。

ここで疑義を呈したい。ロッキーを含め、彼ら彼女らは“変わった”のでしょうか。

結論からいえば、変わっていません。

二人の男がリングで拳を交えるとき、相手を知ることは自分を知ることであり、自分を知ることは相手を知ること。それは虚心坦懐、互いに相手を認めることです。

その二人の姿は、見る者の心に訴えかけます。人間が根源的に在るということを。

その共振によって、他人に用意されたに過ぎない主義主張、価値観は脆いもの、崩れ去ります。逆にいえば、わたしたちが常識と信じて疑わないものなど、外部からの力によって簡単に壊れるものなのです。

彼ら彼女らは、変わったのではありません。本物に触れ、まとっていた虚飾が剥がれただけなのです。

主義主張の違いを超えて互いを尊重しようというメッセージは素晴らしく、それには賛成します。しかし、己の弱さに目を向けることなく、それを人間の可能性として無邪気に肯定して拍手を送るのは、ちと幼い。