決まったからには

アメリカの最大のイベント。それは大統領選挙です。

まずは共和党民主党のなかで、それぞれに代表候補を決めるための選挙戦が戦われます。各陣営に分かれ、同じ党に所属しても、相手は敵。自分の価値を高めるため、互いに非難もすれば中傷もします。しかし、結果が出れば、「決まったからには、一致団結して自分たちの代表を応援しよう」となります。

それは、二つの党の代表候補のどちらを選ぶかという決戦においても同様です。否、むしろエスカレートします。あらゆるメディアを使っての非難合戦、中傷合戦。

そうして新しい大統領が選ばれると、必ずこう言われます。「長い選挙戦の結果、アメリカは二つに分断されてしまった。しかし、新しい大統領のもと、その溝を埋めて、全員が一つになって頑張っていこう」と。

今回の安保法制のメチャクチャ。同調圧力の強い日本社会で、上記のような「決まったからには……」という態度が求められるであろうことは想像に難くありません。

“公”とは、“個”が互いを尊重することです。決して大勢に迎合することではありません。

「勇気は技術だ。自己のテクニックに対する自信だ」とは、大藪春彦の『汚れた英雄』のなかの言葉です。

その勇気を持つ。