言葉の人

小池真理子の『沈黙のひと』で最も印象に残っているのは、娘が、言葉を発することが不自由になった父親のためにひらがなを並べたボードを用意し、その中の文字を指差してもらうことで会話を成立させる場面です。

それまでは、父親は、娘の言うことに明確な返事をすることができませんでした。娘が、唸り声の調子や表情の微妙な変化、やはり不自由な身振り手振りから推測するしかありません。

それは、やはり厳密な意味での会話ではないでしょう。父親は言いたいことが伝えられず、娘は(父親はこう言っているのだろうという)自らの推測対して返事をするしかありません。

そして、娘がひらがなボードを用意したとき。父親は、病を得て言葉が不自由になって以来、初めて自分の言葉で返事をします。

もちろん、簡単な言葉、短い文章です。それでも、そこには人間の尊厳があります。

病によって言葉を失った人であれ、元来が無口で喋らない人であれ、だからといって、何も考えていない、言葉を持たない人形ではありません。頭と心の中には、その人の想い、言葉があるのです。わたしと何ら変わりなく。

その想像力がなくなったとき、人は他人に対して傲慢になるのでしょう。

わたしは、そうなりたくありません。どこまでも、言葉の人でありたい。そう思っています。