作家の色川武大は、阿佐田哲也名義の麻雀小説で知られ、尊敬を込めて“雀聖”と呼ばれます。
私は、色川武大、阿佐田哲也の両方の作品を多少は読んでいます。そして、この作家の本分は色川名義の純文学にこそあると確信しています。
つまり、私が想像するに、この作家にとって、麻雀小説は傍流の仕事だったのです。
本人の想いと現実の乖離。“雀聖”という呼称は、そう呼びたがる周囲の人たちのものであり、当人には何ら思い入れはなく、その心に響くものではなかったと、私は思います。
仕事とは、こういうものではないでしょうか。
一つの道を究める人も立派ですが、私は阿佐田哲也のようなプロフェッショナルになりたい。