生贄の山羊
その研究者は罪を犯したのでしょうか、犯罪者なのでしょうか。
大略「こういうことを発見したと思うので、確認をお願いします」と届け出て、それが間違っていただけのことでしょう。それが、社会的制裁を受けるほどの罪なのでしょうか。
個人的にネットで公表したのではないのですから、それにゴーサインを出した人たち、組織(の役職者たち)も一心同体のはずです。それを「遺憾」とは、何たる言い草でしょうか。世界に発信しても大丈夫という確固たる自信を持てるまで、中で確認をし尽くさなかったのでしょう? 自分たちがしっかりしていれば、このような問題は起きなかったのです。
何の信頼が失墜したのかを考えるべきです。誰のではなく、“何の”を。
躓いても再スタートを切れる世の中を求め、社会的セイフティネットの大切さを説く人たちが嬉々として研究者を叩いている姿に、薄気味悪さを感じます。普段、そんなにも、自分は不幸だと自分で自分を憐れんでいるのかと。
自分は自分と嘯き、自己責任を声高に叫ぶなら、自分に害を為したわけでもない見ず知らずの他人のことなど放っておけば良いのです。
試行錯誤を繰り返し、その中で間違いがあれば正し、少しずつ前に進んでいくだけのことです。
それができる者のみ、彼女を叩け。