愚劣

三年という月日に、何か意味があるでしょうか。

暦とは、船戸与一の『砂のクロニクル』の序文を持ち出すまでもなく、人間が便宜的に作り出した基準に過ぎません。

何も変わっていません。

相変わらず、私は東日本大震災を枕詞に何かを語ることができません。どのような意味も意義も教訓も、あらゆる物語を拒否します。

ならば、今日この日、私は何も書かずに沈黙を守るべきです。それができないのは、私が他人を信じていないからです。

沈黙を、たんに更新しないということではなく、一つの意思表示なのだと理解してもらえると思えないからこそ、このような愚にもつかないことを書いているのです。それは、自分の考えを知ってほしいという願望の裏返しです。

何と浅ましい。