教養小説

船戸与一の“満州国演義”シリーズは、小説らしくない小説です。

通常、作品の中で起きた出来事は、物語の進行上、何かしら意味があります。こういうことがあって、その結果としてこういうことが起きたといった具合に。

このシリーズには、その段取りがありません。視点を受け持つ四兄弟が見聞きすることは、ページを割いて語られているにもかかわらず、ストーリーの展開に寄与することがありません。戦争という、より大きな流れの中の一場面に過ぎないのです。

個々人の営みに意味はないという、その人間性の否定こそが戦争なのだと思います。

私は、このシリーズを楽しんで読んではいません。読まなくてはいけないという義務感が勝っています。それは、本棚で積読中の、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』と同様です。

教養とは、何も芸術や哲学だけを指すものではないはずです。教養小説とは、ビルドゥングスロマン即ち成長小説のことですが、それは言葉の訳の範疇のことであり、より正確に言葉にするなら、船戸与一の“満州国演義”シリーズは、教養として読まれるに値する作品です。

風の払暁―満州国演義〈1〉

風の払暁―満州国演義〈1〉