演じる

自分らしさ、個性。甘美な響きです。その内懐に言い訳を抱いて。

余人に替え難いユニークな人は希少だからこそユニークなのであって、誰もが“特別な人”なら存在価値はありません。唯一の例外は家族ですが、それも属性の問題であって、その人の個性は関係ありません。

誰もが、他人にとっては“その他大勢”でしかありません。

“他人とは違う自分”への憧れは、例えば「気の利いたことを言ってウケたい」といった、さもしい名誉欲となって現れます。そして、その子供じみた承認欲求を乗り越えられない大人が社会には溢れています。

私的な場でのことなら、それも一興でしょう。私的な場とは、それを許容してくれる人間関係のことですから。

では、公的な場では如何に振る舞うべきでしょうか。著者二人は、“型”を演じることの大切さを説きます。

その場に相応しい顔つきと決まり文句。それにとどめるのが礼儀であり、その佇まいと言葉の行間に想いを込め、それが相手に伝わるかが勝負とのこと。

これは厳しい。手段を限定され、なおかつ成果を要求されるのですから。これこそ、どのような生き方をしてきたかという“個性、その人らしさ”が問われます。

世の中は、昔ながらの言い方をすれば、本音と建て前で成り立っています。いつの頃からか、本音をさらすことが、その人の純粋性の発露の如きものとして扱われるようになりましたが、それでは人間関係が築けないことは誰の目にも明らかです。

だからこそ、私たちは“その立場の者”を互いに演じることで、かろうじて集団を維持しているのです。

「自分は特別な人間だ」と鼻息荒い人には、こう問いましょう。

「……で、アナタ、誰?」