支持しない理由

安倍内閣の支持率が高い水準を維持していることが報道されています。

私は、世論調査で「支持する」と「“どちらかといえば”支持する」と選択肢が二つあることに、数字の厳密性という点で疑問を持っています。

「支持する」と答えた人は、その意思表示を積極的にしていますが、「どちらかといえば支持する」と答えた人は、その姿勢は消極的と言わざるを得ません。

消極的ながら支持するとは、これ如何に。

世の中には、そうすることで優越感に浸れるという類の、とにかく何でも否定、馬鹿にする人がいます。

しかし、そうではなく、はっきりと自分の意思を持って誰かを批判するというのはエネルギーを必要とします。

その“自分なりに考える”という過程を持つ意欲もなく、「批判する気がないから、その裏返しとして、支持しないということにはならないから、“どちらかといえば”支持するという立場になる」ということではないでしょうか。

政治家は、その“支持率”を言い訳にします、理由にします、武器にします。

つまり、政治の貧困とは、他の誰でもない私たちの心の貧困です。