絶望も幻滅もしない

今回の選挙で自由民主党が圧勝したのは、民主党が歴史的な「政権交代」を成したときと同様、“敵失”によって利を得ただけ。自分たちの力で得点したからではありません。

民主党は政権の座を手にして、高価な玩具を与えられた子供のようにはしゃぎ、見当違いな全能感を持ってしまいました。自民党もまた、その愚を犯すのでしょうか。

それを監視すべきマスコミの、信頼という点での凋落は始まっています。そして、それは政治と同じ文脈にあります。

ネットの存在です。

今はまだ、ネットにアクセスして新聞やテレビが報じないニュースに触れることができない人たちが、高齢の世代を中心に多くいます。その人たちが亡くなり、有権者の大半がネットを介して情報を“自分から”手に入れるのが当たり前になったら。船戸与一辺見庸との対談で指摘した「何を(報じるべき)ニュースにするかを決める人」は、その力を失います。

しかし、それは私たちに責任を要求します。他人のせいにできなくなるのですから。でも、それが大人の在り方ですよね。

私たちにできることは何でしょう? 考え続けることです。意見を発信し続けることです。そして、デモも必要でしょうが、何よりも選挙があれば必ず投票することです。応援できる候補者、政党がなく、消去法で選ぶしかなくても。

政治に関心を持つ人が、それを投票で意思表示する人がたくさんいるというのは、政治家にとってとてつもないプレッシャーになるはずです。そして、同時に叱咤、応援にもなるはずです。