『冷血』下巻

作家の想像力を超える現実を前に慄いた高村薫は、作家としての在り方を自らに問うように、『晴子情歌』と『新リア王』を書きました。そして、その流れに位置する『太陽を曳く馬』に合田雄一郎を登場させましたが、それは従来の意味での警察小説とは趣きを異にしていました。

かつて、刑事ドラマは犯罪を通して世相や社会の闇、人の弱さを描きました。光が当たることで生まれる影と陰。

しかし、陰影ができるのは、光が当たるものに凹凸があればこそ。人の世の中で様々なことが希薄になるにつれ、刑事ドラマは視聴率という名の支持を得られなくなりました。それが無くても事件を描けるのでしょうか。『冷血』は高村薫の挑戦だったと思います。

正直な感想を書きます。この『冷血』に登場する二人の犯人は、過去の作品の犯罪者と比較しても小粒で、魅力に乏しい。しかし、それは作者にとっては先刻承知のことで、そこから物語を紡ぎ上げることに主眼があったのでしょう。

ですから、当然のことながら、読者を惹きつける“けれん”もなければ、起伏に富んだ展開もありません。しかし、その一方で、作品の語り手たる合田雄一郎の心には嵐が吹き荒れます。静かに、あくまでも静かに。

感動とは、必ずしも涙が溢れる類のものだけではありません。読み終えようとするとき、静謐な、硬質な、冷たい読み応えが胸に迫ってきました。それはまぎれもない感動です。

行間から悪戦苦闘しながら書いている姿が滲み、それを読者に気取られるのは作家としては不本意かもしれませんが、その誠実さに好印象を持ちました。

冷血(下)

冷血(下)