新聞やテレビで“第三極”という言葉が踊っています。
しかし、振り返ってみましょう。それほど遠くない過去。
“反自民”という旗印の下に集まった細川連立内閣は、その目的を果たした後、あっさり崩れ去りました。
“政権交代”という宿願を果たした民主党は、寄り合い所帯の脆さを露呈し、迷走しています。
先に数だけ揃えて、掲げる政策の違いを斟酌するのは二の次三の次。
新たに“第三極”という言葉を使うことで、何か新しい展開があるかのような印象を持たせたいのかと邪推してしまいます。
表現を変えただけで、やっていることは同じ。
そこに如何なる展望を持てというのでしょうか。